【コラム】第2回 神話や伝説をひもといて~こんなにもドラマチックな箸の歴史~

公開日: : 最終更新日:2020/12/24 コラム

   

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箸の起源については様々な説があり、明確には判っていません。

5歳のチコちゃんは、「なぜ箸を使うの?」という問いに「熱いものを熱いうちに食べたかったから」と回答。そうなのです。人類が火を使うようになってから、熱い食べ物を調理したり食べたりする道具として、木の枝や動物の骨などを用いたのがお箸の始まりと言われています。以降、現代に至るまで、私たちがどのようにしてお箸と関わってきたのか、その歴史を少しだけ紐解いてみましょう。

考古学的には

考古学者たちの研究によると、中国の新石器時代の遺跡から動物の骨を利用した箸の原型が出土しており、紀元前5000年には箸が使われていたとされていますが、それは食事をするためだけの道具ではなく、調理道具兼食事道具であったのではないかと考えられています。世界で最も古い箸は中国の殷王朝の都「殷虚」から発掘された青銅製のものが、そして日本では奈良県の飛鳥板蓋宮跡(七世紀)から出土したものが最も古いとされています。

文献では

3世紀末に書かれた「魏志倭人伝」には、「倭人は手食する」と箸を使っていなかったような記述がありますが、同時期に書かれた「日本書紀」や「古事記」では神代の頃より箸が存在していたという記述もあります。

また、奈良県正倉院の御物の中から発見された鉄製のピンセット型のものが注目されていますが、これは物をつかむ道具で、食事をするための道具ではなかったようです。「祭器として、一本の竹を削って中央部を折り曲げたピンセット型の『竹折箸』が使用された」という記録が残っており、これが箸の原型であるとする説もあります。

更に、「神聖なお供え物を扱うために箸を置くための台が作られた」という記述もあり、これが「箸置き」の始まりだとされています。

現在でも大襄祭では「竹折箸」が使われています。

日本最古の箸

中国からの伝来

聖徳太子

(607)が小野妹子を中国(随)に派遣した際(遣隋使)、帰国時に持ち帰ったのが“箸を使って食事をする”という作法で、当時の日本ではまだ「手食(手で直接食材をとって食べる)」だったそうです。聖徳太子が返礼として隋の使者を招くにあたり、中国の食事作法を真似て、宮中で初めて“日本の棒状の箸(唐箸)”が使われたとされています。このことをきっかけに貴族の間で箸食が一般化し、奈良時代になると庶民の間でも箸食が広まり、日本人の食事が「手食」から「箸食」へ変化していったと考えられています。尚、この時代のお箸は、塗りを施していない白木のものでした。

江戸時代に入ると、様々な素材の箸や、色の付いた「塗り箸」も生まれました。江戸時代後期には外食産業も発達し、清浄を好む日本人独特の感性から、他人とお箸を使いまわすことなくその都度使い捨てる「割り箸」も生まれました。

神代の頃より箸は存在していた?

●出雲神話「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)・素戔嗚尊(スサノオノミコト)神話

出雲神話

月岡芳年画「素戔嗚尊(すさのおのみこと)出雲の簸川上(ひのかわかみ)に八頭蛇(やまだのおろち)を退治し給う図」

(県立古代出雲歴史博物館蔵)

高天原を追放された素戔嗚尊(スサノオノミコト)は、出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(現・奥出雲町鳥上)に降り立った。箸が流れてきた川を上ると、美しい櫛名田比売(クシナダヒメ)を間に老夫婦が泣いていた。

老夫婦には八人の娘がいたが、毎年やってくる八岐大蛇に次々と食べられて、今年は、櫛名田比売)が食べられると悲しんでいた。
素戔嗚尊は、「八岐大蛇を退治する代わりに奇稲田姫を嫁に欲しい」と申し出て、八岐大蛇を退治し、その後結婚し、新居となる地を求め、出雲の淸地(すが)を訪れ、宮を建てた。そして「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ。

(ウィキペディアより抜粋)

*箸拾いの地とされているのは、島根県雲南市木次町新市で、現在は八岐大蛇公園となっています。
*八岐大蛇を退治するクライマックスシーンで登場する「草那芸之大刀(くさなぎのたち)」は、のちに「草薙(くさなぎ)の剣」といわれ、天皇家の「三種の神器」のひとつとして、代々受け継がれています。

*この物語を詳しく知りたい方は、日本初の宮となった「須我神社」のサイトをご覧ください。

https://suga-jinja.or.jp/

須我神社

●三輪神話「箸(はし)墓(はか)伝説」

※「日本書記」崇神天皇十年の条に、箸墓伝説が記されている。

倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)が大物主神(オオモノヌシノカミ)の妻となった。ところが、夫の大物主神は昼には見えず、夜にのみ妻の元へ通った。

夫の姿を見てみたいと言う妻に対して、夫は、「明朝に櫛箱の中を開けてごらん」と返し、「しかし、私の姿を見ても決して驚いてはいけないよ」と念を押した。

明くる朝、妻は大物主神の正体が小蛇であることを知って驚くことになる。悔いた妻は、箸を陰部に突き刺して死んだ。

*箸墓とは奈良県桜井市箸中にある箸墓古墳のことで、卑弥呼の墓ではないかという説もあります。築造についても以下のような記載があります。

墓は昼は人が作り、夜は神が作った。

(昼は)大坂山の石を運んで作った。

山から墓に至るまで人々が列をなして並び、手渡しをして運んだ。

※当時の人は、「大坂に 継ぎ登れる 石むらを 手ごしに越さば 越しかてむかも」と詠みました。

魏志倭人伝・日本書紀・古事記・聖徳太子・小野妹子…など、かつて歴史の教科書に登場した文献や人名、さらには、素戔嗚尊・(スサノオノミコト)・櫛名田比売(クシナダヒメ)・出雲の大蛇(八岐大蛇(ヤマタノオロチ))・大和の小蛇のように神話や伝説に登場する神々や生きものなど、お箸の歴史の背景には、なんともダイナミックでドラマチックな世界があるのですね。

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礼法講師としての経験、及び自身の子育て・孫育ての経験から、「マナー教育や食育で基本となるのは毎日の食生活であり、お箸使いである」との確信を得る。以来、箸文化や箸使いに関するセミナーや、my箸作りを行うワークショップを多数開催。「日本のすべての子どもたちと、その親たちが、正しい箸使いを身につけるとともに、自分のお箸を丁寧に選ぶようになってほしい」「すべての日本人に箸文化の素晴らしさを知ってほしい」と願って活動している。
https://minnano084.com/
   

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